ACT REPORT|フロッタージュ〜無心で対象と向き合うということ

7月5日(水)に実施された湯河原中学校3年生の2回目のワークはフロッタージュ。

今回はパーソナルワークです。 


フロッタージュは、対象物の上に紙をのせてその上から鉛筆で凹凸を擦り出し、形を浮かび上がらせる技法のことを言います。今回はベニヤ板、釘、葉や草を使いました。

ベニヤ板は班ごとに共有するので、まずは自分が使うエリアを決め、そこに釘で傷をつけていきます。

そして植物を選び、葉と傷が収まるように紙を乗せたらスンバイ完了。

あとはもうひたすら鉛筆で擦り出していくだけです。 シンプルですね。


でも、約30分同じ姿勢で黙々とこの作業をするのはなかなか大変なことでもあり、少し休んだりしながら、みんなそれぞれのペースで取り組んでいました。


鉛筆で紙を擦ると、様々な植物の線や模様、板の木目、傷の痕跡、植物を貼り付けていた葉の裏側のセロハンテープの輪郭まで浮かび上がってきます。 

自分がていねいに鉛筆をあてていけば、見えていなかったものが時間をかけて現れてくる感動。 フロッタージュの醍醐味のひとつですね。  


では、サポートした二人の感想を紹介します。

「10円玉の上に紙のせて鉛筆でこするやつだー!」 

「楽しそう〜」

 と生徒たちの中から賑やかな声があがります。


でも、今回なぞるのはお金ではなく植物。有機物と対峙することになります。 


鉛筆で丁寧に葉の上の紙をなぞると、様々な模様や線が浮かび上がってきます。

自分が植物とモノ(紙や鉛筆)との間に介在することで、自然の持つ生命をあぶり出すような、そんな不思議な体験です。 

目では見えない葉脈がうかんできたり、葉の下に置いた板の傷が浮かび上がってきたりしました。 

熱中してしまい自分を忘れたりするような、そんな時間。


「無心になった」という感想も少なくありませんでした。無心になることが心地よく感じる生徒と、まるでロボットになった気分だ、と例える人もいたり、一つ一つの出来上がったものを見ると、ひとりひとりの心を投影しているようにも思えます。 


内野さんが作業を終えた生徒たちに「浮かび上がってきた画は、今のあなた自身もあらわしているのかもね」と言った時、其々が何か自分自身のことを思うような表情があったように感じました。

坂本ちと


私はフロッタージュをする生徒のみなさんの姿勢を見ていました。 


集中している人と、そうでない人は姿勢がだいぶ違うなと感じました。 

グッと入り込んでから、そのあとも継続して作業をし続けようという気持ちがある人は、足元を正座に近い座り方にしている人が多かったです。長時間続けられる姿勢に自然となるのだと思います。

また、顔を紙にかなり近づけていて、表情としては目がしっかり開いていました。 


あまり集中できていない人は、体がグニャリとしていました。足元は体育座りを崩したような座り方、あるいは身体を横に倒して肘をついたり。顔は紙から離れていました。そういう姿勢だと必然的にすぐ疲れるようで、目も手も力がない感じになっていきました。 


気になったのは、疲れているのに疲れに対処する様子があまり見られなかったことです。

疲れたら立っていいんだよ、伸びをするといいよと声をかける場面もあったのですが、そうする人はいませんでした。疲れたときにどうやったらそれを自分で解消できるのかがよくわからないのかもしれないと思いました。


身体的に疲れたときもそうですが、精神的に疲れたときも同様で、自ら発散させられるのが一番良いです。 それが自然にできる人は良いのですが、苦手な人もいるはずで、そういう人は「自分がどうしたらラクになるのか」を知る経験が必要になるんだろうと思いました。


また、発散の方法は人それぞれで、大きな声を出す、深呼吸をする、細かい作業に没入する、運動するなどいろんなパターンがあります。


それを、その人の〈得意なこと〉〈好きなこと〉として見ることもあれば、〈疲れているときにすること〉という見方もできるのだなと思いました。 

 諸岡智子 


今回5クラスにそれぞれの空気感があり、それは人の動きや、なぞる線や、表情など各所に現れていたように感じます。 


対象と向き合う中や、結果として出来上がったものに対して、自分という存在を意識することがあったならば、いつもの日常とは少し違う見方をする時間になったのではないかと思います。


まなびとくらし

まなびとくらしは、様々なアート体験を通じて、子どもの「いきていくチカラ」を育むNPO法人です。

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